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82年生まれ、キムジヨンを観た感想

今までnoteで文章を書いていたのですが、最近の運営に嫌気がさし、こちらに移動しています。よろしくお願いします。

11月に彼氏を連れて82年生まれ、キムジヨンを観ました。

その時の感想は残しておきたいと思ったので、ここに置いていきます。

 

男性だけが昇進したり、女性だけが家事をしていたり、世間からもそれを期待されている韓国社会の細かい描写に胸が張り裂けそうでした。特に男兄弟のために夢を諦めたジヨンの母の人生には出てくるたびに泣かされました。

学生時代ジヨンがバスで痴漢されていたところを乗車していた女性が助けてくれたシーン。ジヨンの父は「お前のスカートが短いのが悪いんだ」と言いました。これ、よく言われることですよね。性被害にあったことを思い出すだけで、話すだけで嫌なのに、勇気を出して話すとまるで自分が悪いかのように言われます。訴えるだけ無駄な世の中です。男性はまるで性被害は無くならないかのような言い方、性被害は嘘だという言い方をし、深刻に受け止めません。本当にため息が出ます。こんな人たちと一緒に社会のなかで生きていかなければならないなんて。

家事労働や育児は当たり前ですが賃金が支払われません。このことがそのような再生産労働を過小評価する要因となっています。まるで家事は女性がするものであると最初から決まっているかのように、雇用形態や昇進システム、社会保障が当たり前に存在していることを再確認する機会になりました。男性の「家事を手伝う」という言い方、やめなさい。

しかし女性の生きづらさと同時に男性の生きづらさも存在します。家族からの期待だったり、、それによって育休が取れなかったり、、(男性の皆さん他に何がありますかね?)

女性差別(統計的差別)を是正するための対策が、逆差別であるとも言われています。例えば、育休で一旦職場を離れた女性が、育休を取らずに働き続けた男性と同じように昇進していくことが提案されます。この逆差別のそもそもの発端である女性差別は男性社会の中で形成されたものです。しかし、このように現代社会ではそれは持続可能ではないのです。一体なぜみんなで苦しんでいるのか。

映画では出産後のジヨンは育児や家事に追われ、「憑依」という形で精神的にやつれます。それは自分の母であったり、夫の母であったり、自分の祖母であったり。そのような明らかに様子がおかしいことがジヨンには起こったため、夫であるデヒョンは何かおかしいと気付けたのだと思いました。

ごめんなさい、私の勉強不足で、精神疾患によって憑依が発症するかわからないのですが、あまり現実的ではない「憑依」によって物語が進んでいくため、少し現実とは異なるものになってしまうなという認識でした。実際の社会で解決されていない課題を現実のまま映し出すと解決に繋がらない。そのため、「憑依」という手法を用いてジヨンが精神科に通うこと、新しい職場を見つけること、周囲がだんだん変わっていくように、実際の社会とは異なり、ラストは解決の方向に進むことができたのだと思います。